アダルトチルドレンだよ
アルコール依存・酒乱の親父(オヤジ)の元で育った男の記憶を辿る
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勢冶

Author:勢冶
年齢:23歳
性別:男
職業:専門学生(夜間)
趣味
音楽を聴くこと:HRHMメインで
ドライブ:軽だけど。。。
スポーツ観戦:サッカー、ラグビー
読書:漫画、心理関係等



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週末は
授業後、クラスの友人5人とカラオケで遊びました。
自分は運転手なので、酒は飲みませんでしたが、楽しめました。
こういう行事に参加すると、自分が学生なんだなぁと実感します。

馬鹿騒ぎ出来るのは学生の特権。
社会人になり会社仲間との飲みになると、限度があります。
利害関係があるから、何も考えずにというわけにはいかなくなる。

学生はいいです。

前回、恋愛について少し書きましたが、
週末一緒にカラオケに行った子が少し気になっているようです。
逃げないと決めた以上、自分に素直に行動しようと思います。
といっても、いきなり遊びに誘うなどではなく、
何気ない会話の中で自分の好意を隠さない。という程度ですが。
少しでも前進できれば。


少し話題を変えて、僕の持つ(持っていた)問題のある癖。

・吃音(現在も継続)
・つめを噛む(現在も継続)
・抜毛症(小2〜小4の時期になり、今でも前頭部が薄い)
・寝ている間に顔を引っかく(現在も継続、朝起きると傷だらけに)

体は正直なんだと思う。
環境が原因でなったのならば、落ち着いた生活を送れば、いくつかは治るかもしれない。
吃音に関しては、どの種族も人口の1%は必ずなるという不思議病なんてわからないが。

吃音について、自分なりの答えを出すのには相当な時間がかかると思う。
とにかく、今は出来るだけ多くの書籍にあたるしかない。
今日は早めに学校にいって、吃音の資料を物色だ。
幸せについて
前回までで一通り自分の生い立ちを書き終えたので、
今日からは日々の日記がメインになると思う。

僕は今専門学校に通っている。
前述したとおり、言語聴覚士養成校である。
この言語聴覚士という職業は、知名度は低いものの、食いっぱぐれることはないようだ。

言語訓練(病院、老人ホーム、言葉の教室、養護学校)の他にも
嚥下(病院)、聴覚(病院、補聴器の企業、養護学校)、
小児にいけば、言葉の問題との絡みで自閉症、LDなどの障害をみることもできる。
本格的な言語訓練や嚥下が嫌なら、市役所の福祉課等に勤めるという選択肢もある。

コメディカルにしては出来る仕事の範囲が広い。

僕のような吃音の問題を抱える人間にとって、これは心強い。
いくらどもり持ちで、言語障害を持つ人の気持ちがわかり、他のSTよりも察することができても、
訓練中に吃音を連発するようでは、話にならない。現実的に諦めるしかない。
それでも、聴覚専門になれば補聴器の会社に勤められるし、嚥下や行政の道もある。
とりあえず、資格はあるが働けないという状況は避けられる。
ということで、高い学費と年月をかけても取得する意味はあるのかなと思っている。

入学してみると意外な事実がどんどん出てくる。
まず、脱落者の多さに驚かされる。
高卒課程は、最終学年までに約半数が学校を去る。
そして、その残った学生の中で国家試験に合格するのは4割。
6割は、フリーターをしながら毎年試験を受け続けたり、諦めて実家に帰ったりしている。
9割近い合格率が普通のコメディカルの中では異様と言えば異様。
そのため、教師たちはSTはとにかく難関資格で医療系の資格の中では医師の次に難しいなどと煽っている。
学生をやっていて、国家試験に触れた感想としては、それはないと断言できる。

国家試験の低さは学生の質の低さがほぼすべてだろう。
高卒課程のST養成校の試験はあってないようなもの。
たとえば、入試で自分が受けた英語は、センター試験をさらに優しくした内容だった。
その簡単な学科試験がとれなくても、倍率は1倍代なので、よほど酷くなければ入れる。
実際、自分が受けている英語の授業の様子をみると、第5文型すらわからない人が圧倒的多数のようだ。
そして、勉強の密度も看護師などに比べるとかなり薄い。求められる暗記量も少ない。
国家試験の内容も、普通に該当する講義を受けていれば、8割は取れる内容だ。
ようは、忘れるか忘れないかの問題。

リタイアする人の多さも、敷居が低いということがすべてだと思う。
高圧的な教師はどこにでもいるし、一応、コメディカルを目指しているのだから週1のレポート提出くらいはあるし、小テスト、グループワーク等もある。
学生生活のメインを遊びにおきたい人は耐えられない。
本来入学試験ではねられるべき人が、去っていく。
なにもおかしいことじゃないし、特別、厳しいわけでもない。

入学して半年経過して、耐えられない人はあらかた去っていった。
残っているのは、朝から夕方まで働いてそれから学校、
休日は課題やテスト勉強といった生活をしっかりと送れる人。
みんな本当に頑張っている。
勉強するのなんて10年ぶりなんていう状態でよくここまで懸命にやれると思う。
真面目で頑張りすぎて体を壊さないか心配なくらいだ。

僕はというと、夕方から学校に行き22時に帰宅、23時から8時までバイト(週4日)をしている。
それほど疲れないし、ちょうどいいくらいだと思う。
社会人時代と比べると、余裕がかなりある。
ただ、この余裕が曲者で、実家から離れて、親父からの攻撃の危険が消えたことで、
緊張感がなくなった。家が心地よくて仕方がない。
本来ならば、ストイックに吃音の資料を読むべきなんだろうが、
悠長にソファーでくつろぎながらゲームなどしている。
学校がない日などは、学校の友人と遊びに出かけることも多い。
どもり持ちで、ある程度のリスクを負って入学した人間として、どうかと思う。
人生で初めての、平和な生活。
すべてが自由。お金も多少の余裕はある。快楽の方に流される。
今まで「環境さえ良ければもっとやれるんだ!」と思ってきたが、
楽できる環境にいながら、苦行に向かうことの難しさを知った。
自分を奮い立たせて、やらないといけない。
僕が、親父が暴れている時、目を瞑らずに行動したのは、責任があったから、
家族を妹を守らないといけなかった。
自分の将来にしか責任がないという状態は、僕にとっては逆にきつい。
当然のごとくあった逆境の中で生きてきた自分を「強い人間」だと信じてきたが、それは違った。

本当に「強い人間」とは自分の将来の為に頑張れる人。
自分を愛し、自分の幸せの為に必死になれる人。

僕もそういう人間になりたい。

自分の幸せについてよく考えないといけない。
もう、基地外の親父も不安定な兄もいない。
誰も僕の人生を邪魔するものはない、すべて僕の責任。
過去の不幸を引きずって暗い顔して生きるのも、それを糧にして幸せを掴むのも僕次第。
選択権は僕にある。どちらの結果になるにせよ責任は僕にある。

恋愛について、最近考えている。
今までは、他人と恋愛関係になるということを異常なまでに重くとらえていたし、
現実問題、最近まで僕は他人に体を触れられると、胸が苦しくなって動悸が起きていた。
友人という関係なら、それでもいいが、恋人になれば、抱き合いもすれば、セックスもする必要があるだろう。
今までの僕では、その責任を果たせる見通しがなかった。
でも、この生活になってからだいぶ、拒否反応のようなものが和らいできた。

恋愛は疲れると思う。
相手に対して言葉は悪いが所有権のようなものを持ち、持たれる。
一心同体ではないが、他人よりも親密で、そういう態度を示さないといけない。
それでも、それから学ぶことはあると思う。
友人達は、中学高校くらいからそういう経験をしている。
家庭に力を使っていた分、僕はそういう方向での苦労はしていない。

いきなり自分からというのは厳しいが、逃げないようにしよう。そう思う。


一応、日記を書くといったので、最後に今日の予定を。
今日は夜勤明けでバイトは休み。
授業が終わったら、クラスの友達とカラオケに行きます。
せっかく維持している車を使う機会があまりないので、こういう時に役に立てばと思います。
受験断念
僕は、バイト先のコンビニから徒歩10分程度の場所に部屋を借りた。
敷金、礼金、家賃で受験費用としてとっておいた貯金はなくなった。
それでも、平和に暮らせるというだけでありがたかった。
深夜コンビニのバイト代の月12万弱でやりくしていたが、
廃棄を貰えるところだったので、食費がほぼ0円で済み、生活には余裕があった。
事件後から3ヶ月くらい、この生活を続けながらお金を貯め受験継続するか、
それとも、違う道を進むのかを考えた。

母のもとには、ほとんど毎日、脅迫とも取れる内容の電話がかかってきていた。
あまりに酷いようなら警察に言うように提案したが、「もうあの人と関わりたくない」と断られた。
妹は大学受験のために、塾に通い勉強を続けていたが、
事件後、あっさりと大学を諦め、県からの奨学金で学費を賄える専門学校への進学を決めた。
母は離婚する際、家のローンや車のローン、その他一切の財産を引き受けた。
子供の養育費や慰謝料は要求すらしていない。
とにかく、完全に縁を切ることだけを優先した。
そのため、うちは経済的に厳しい状態だった。
アパートと家の二重生活でお金は減る一方、それでも、状況が落ち着くまで家には危なくて帰れない。

僕は進学を諦め、就職することを決めた。
母方の親戚が会社を経営していて、前々からウチにこないかと誘われていた。
年明けに母と二人で親戚の家に働かせてもらえるように頼みにいった。
僕にとっては唯一まともな方の親戚であり、経営の話などを聞くと、
素晴らしい理想的な会社のように思えた。
この会社で頑張って、家にお金入れて、落ち着いた生活をしよう。そう誓った。

この間にひとつ素晴らしい出来事が起きた。
なんと、ひきこもりだった兄がバイトを始めたのだ。
将来なんて絶望的で、働くなんてありえないことと思っていた兄が、自ら働きだした。
長いブランクのせいで、一般的な社会常識も忘れており、最初は相当注意されたようだが、
兄はめげずに仕事場に通い続けた。
兄が働くスーパーに1,2回様子を見に行ったが、声は小さいながらも真面目に丁寧にレジを打っていた。
また、店長らしき人に信頼されているようで、兄の表情も明るかった。
妹に電話で話しを聞くと、むこう(母、兄、妹の生活)では、兄は洗濯、ゴミ出し、買い物をやっているとのこと。
非常によく協力してくれて助かっていると妹が嬉しそうに言っていた。
事件前の兄とは別人のようだった。兄は変わった。
兄はその後、完全に立ち直り、半年後には一人暮らしまでした。
その翌年に受験をして、国家資格が取得できる医療系の専門学校に進学した。
その学校は学費が年間に30万程度と安く、奨学金も充実しているため、かなりの人気校だった。
兄は中学以来まともな勉強はしていなかった(高校は不登校児専用だったので勉強に関しては最底辺レベル)。
受験をするという話を聞いたとき、受験科目の数1、Aと英語、生物1Bに関する知識は、ほぼ皆無で、一番簡単そうな参考書を買い最初からやると言っていた。
僕らは、来年の合格は無理だろうけど、兄がやる気になっているのだから、応援しよう。そう話していた。
月に2,3度、一人暮らしをしていた兄のアパートに差し入れをもって行くと、
きまってテレビゲームをしていて、勉強を追い込んでやっているようには見えなかった。
話を聞くと、バイト1日7時間、ゲーム2時間、勉強2時間といっていた。

1月の中旬、兄の本命とする学校の試験があった。
兄に感想を聞くと、わからない。とのこと。

その学校の他にも、学費は多少高くなるが、レベルの下がる学校の受験を控えていた。
僕らは、ここは人気校だから無理だろうと高をくくっていたのだが、結果は合格だった。
うちは歓喜に沸いた。
あの兄が、自殺未遂や暴力でもう立ち直れないと思っていた兄が、
自分の将来を考え、道をしっかりと歩んでいる。こんなに嬉しいことはなかった、
兄に「よく3ヶ月で範囲終わったね!」というと、使用した参考書とノートを見せてくれた。
参考書は3ヶ月でボロボロになっていた。
数学、英語、生物、それぞれの2冊ずつ、参考書の内容を丸写ししたノートが出来上がっていた。
本人いわく、この参考書の内容だけを完璧にしたとのこと。
兄の言う完璧は本当に100%を意味する。
ページ数を言えば、書いてある内容をすべて言い当てられるレベルになっていた。

やっぱこの人はすごいな。
中学の時、不登校にならずに勉強を続けていたら、どこまでいっていたんだろう。
そう思った。

家庭の歪により、長年ひきこもった兄が、家庭の崩壊を機に立ち直った。
どういう心境の変化があったのか、本人の口からは聞けていないが、
仕事と脅迫で疲れきっている母と潔く大学を捨て家事を頑張る妹をみて、なにか奮い立たたされるものがあったんだと思う。

10年ぶりに大好きだった兄が戻ってきた。僕はそれが、なにより嬉しかった。
就職して
僕は4月から社会人としてのスタートを切った。
僕の想像していた順風満帆な社会人像は、初日に早くも打ち砕かれた、

事実だけを羅列する。

・先代は事実上引退していて、二代目のワンマン経営。
・入社時、21歳の僕と一番歳の近い社員が43歳。
・常時社員、バイト共募集しているが、僕がいた1年半のうち一番続いた人で1ヶ月。
・基本的に怒鳴り声が響いている。「馬鹿野郎!」「死ね!」は当たり前。
・二代目は神であり、口答えしてはいけない。意見を言うなどもっての外。
・先代が引退してから、経営状態は悪くなる一方。
・勤務時間2時〜18時。忙しい日は0時〜18時。残業代は1日1時間まで。
・2時〜12時までは休憩一切なし。12時に40分程度休憩して午後へ。
・月休3日なのに給与明細には勤務日数22日になっている。
・休日の呼び出しは当たり前。「四の五の言わずに来い」。
・有給は病気でも使えない。熱があろうと「地を這ってでも来い」。
・あまりにきつ過ぎると二代目に言った社員は「嫌なら辞めろ」と言われ、辞めた。


最初の3ヶ月は、職人さん達から「将来の社長」と呼ばれ、仕事を一切教えてもらえなかった。
何をしていいかわからずキョロキョロしていると「邪魔だ!帰れ!」と怒鳴られ、
何をしたらいいか聞いて回ると「うるせー!自分で探せ!」と怒鳴られる。
勝手に何かやろうとすると「勝手にやるな!聞きに来い!」。そんな毎日だった。
後で後輩が入ってきてわかったことだが、うちの職人さん達は新入りをいじめるのが恒例になっていた。
まして、毎日暴言吐かれているボンクラ二代目の親戚でどもりじゃ。。
どもりに関しても「はっきり言え!!」「早く言え!」「基地外みたいな面するな!」と散々言われた。
電話対応をすれば、どもりまくる僕を見た二代目に「緊張するお前が悪い。
お前のせいで取引先が無くなったらどうする!しっかりやれ!」と言われた。
この頃、僕は人生で初めて、死にたいと思った。
親父から開放されて、自由になれると思っていたのに、違う牢獄に入っただけだった。
会社に出勤する時、アクセルもう少し強く踏み込めば、楽になれる。 毎日、そういう衝動にかられた。会社が近づいてくると涙が止まらなかった。
辞たいとは思わなかった。自分が辞めれば母の顔に泥を塗ることになるし、
唯一の親戚と縁を切ることになる。そんなことは考えられなかった。


僕は毎日誰よりも早く来て、厨房の掃除をし、社員が嫌がるゴミ捨てや残飯処理等の仕事を最後まで残ってやるようになった。

4ヶ月目くらいから、いくら怒鳴られても口答えせず、謙虚な態度で挑んでいたことが認められてか、
職人さん達に少しずつ仕事を教えてもらえるようになった。
そして、初めて名前で呼んでもらえるようになった。
僕がメインで教わった主任は、気性が荒く、気に入らないことがあると、バットを蹴り倒したり、
理由もなく殴ってきたり、また、他社員、バイトに対して、怒鳴り散らすような人だったが、
親父の相手をしていた経験から、いなすことができた。
少しずつ理不尽な暴力や暴言は受け付けないという態度を取り、8ヶ月目くらいになると、
僕に対して暴言を吐くことはほとんどなくなっていた。
僕が仕事を覚えて、仕事を二人で分担してやっていたので、強くでて辞められると困るというのもあったと思うが。

客観的にみて主任の仕事場の態度は最悪だし、仕事もテキトーで丁寧に作るということをしない、
人間性を疑うような行動も多々あった。
でも、親父のように酒に逃げないから、強く正面からぶつかれば、まともな話ができる人だった。

入社して1年がたつころには、毎朝、コーヒーを奢ってくれたり、飲みに連れて行ってもらうようになった。
そして、色々な話を聞いた。
主任はもともと和食の料理人でニューヨークで働いていたこともあること。
約10年前に妻と子供に逃げられてから、転落人生を歩み、ここに至ること。
本当はこんな料理を出したい。こういう素材を使いたい。そういう気持ちを今でも持っていた。
ただ、二代目は何をいっても聞く耳持たない。そして、諦めたと。
もう定年も近いから、このまま働くしかないと。

他の社員さんとも何度か飲みに言ったが、皆同じだった。
本当はこうやりたい。こんな仕事したくない。お客に喜ばれる仕事がしたい。ただ、意見を言えば辞めさせられる。家族もある、それはできない。

皆やる気はあった。でも、二代目の独裁によって、それは奥に引っ込んでしまっていた。
休みもほとんどない長時間の肉体労働で、二代目に立ち向かう気力を持つなんて不可能だった。

「勢冶が早く社長になって、会社を良くしてくれ。それだけが望みなんだ」と飲み会の度に言われた。

1年が過ぎたころ、ある出来事があり、それからこのままでいいのかと考えるようになった。
会社の不備のせいで怪我をしたパートさんを二代目は「自分のせいだ!」と罵った。
そして、酷い怪我にも関わらず、翌日から働かせた。
そのパートさんはシングルマザーで子供3人を育てていて、簡単に職場を変えられる状況ではなかった。
また、度が過ぎるほど真面目で一生懸命働く人だった。
そういうことを知っていて、二代目はああいう対応をした。
本来ならば、謝罪して、労災を使わないといけないのに。
翌日から、包帯から血のにじむ足で働かせた。

これと似たようなことは何度かあった。
社員が怪我をした時など、気遣いもせずに「注意不足だ!」と怒鳴るだけだった。
現に僕は、指の先(第一間接)を落とした時も、翌日から働いた。
落としてからの1ヶ月は、辛かった。
週3回、1時間早く帰らせてもらい病院に行ったが、これに対しての嫌味を毎日言われた。
物を持てば激痛、水仕事をすれば染みて痛い。まぁ繋がったから良しとするが。

話は変わるが、家庭の方はというと、
親父からの脅迫の頻度が減り、母、妹、兄はもとの家での生活を始めていた。
妹、兄ともに奨学金で進学して、学校生活を送っていた。
母も、仕事にプラスになる資格をとったりと、充実した日々を送っていた。
経済的にも、二重生活が終わり、安定してきていた。
僕はいえに月5万入れて、家計を支えたが、それがなくても十分やっていける状態になっていた。

入社して1年と3ヶ月、前々から準備していたわけではなく、
突然、気がつくと僕は社長室のドアを叩いていた。
そして、思いのたけをぶつけた。
「なぜ業績が悪化しているのに手を打たないのか。」
「なぜ社員に権限を与えず、意見すら聞こうとしないのか」
「この状態を解決しようともしないのならば、自分は辞める」

社長には、「黙って働け。お前に何がわかる!」と一括されたが、もうすべてを吐き出すまで引けなかった。
入社してからの二代目の行動に不信感を覚えたことなど、すべて伝えた。
話を聞くと社長はこう言った。
「今は黙って働け。それしか道はない。ここで辞めたら、あのろくでもない親父と一緒だぞ!お前は親父と同じ道を進んでいいのか?」

僕はそれを聞き、涙が止まらなくなった。
そして、思いもよらない言葉が、勝手に口から出てきた。

「本当は就職なんてしたくなかった。進学したかった。今、みんなそれぞれ充実して、やりたいことをやってる。僕も自由に生きたい。僕だけは駄目なの?」

自分から働かせてくれと頼んでおいて最低なことはわかってる。
でも、僕にとっては、生まれて初めての感情の吐露だった。
押さえ切れない涙と自然に自分の口から出た言葉から、僕は僕の本音を知った。

これが僕の本音なんだ。
親戚の縁を切られたっていいじゃないか。
母には申し訳ないけど、これが原因で母に絶縁されてもいい。
僕は僕の道を行くしかないんだ。 そう思った。

それから退職するまでの二ヶ月間、顔をあわせるたび、
「生意気だ」「世の中を甘く見るな」「お前に何ができる」と罵られ続けた。
でも、社員の皆は、最後まで暖かく接してくれた。
主任には1ヶ月まえに伝えた。
「自分のやりたいことをしろ。」と言ってくれた。
辞める3週間前、社員会議の中で二代目が僕の退職を発表した時、
少し抜けていて、毎日怒鳴られているけど、会社の中で一番優しくて真面目な社員Aさんが、
「勢ちゃんは、そうした方がいいよ〜勢ちゃんには未来があるんだから、こんなとこいちゃ駄目だぁ〜」
と大声で発言した。
先代と二代目に凄い目で睨まれていたけど、そんなこと構わないというような態度だった。
それを聞いた瞬間、涙が出た。
皆に馬鹿にされて、一番きつい仕事ばかりやらされているAさんがそんなことを言ってくれるなんて。。入社した時、他の社員が暴言を浴びせてくる中、一人だけ優しく接してくれたのもAさんだった。
あの時だって他の社員さんに白い目で見られていたに違いないのに。
怒鳴られても酷い暴言はかれても笑って頑張るAさん。
こういう人をこんな会社に残して、僕は会社を辞めた。
退職後
退職する際の家族の反応は、予想してたものと違った。
母は、
「職場から逃げたわけじゃなくて、筋を通して辞めたんだから、
私と父さんとの関係がおかしくなるなんてことはないよ。それに、おかしくなるとしても、息子より親を大事にする母親なんていないよ」
と言ってくれた。

照れくさくて冗談で「少し前まで僕らより親父をとっていたじゃん」と言ったら、
「あの時は子供のために別れられないと思ってた」と母は返した。
あの時は共依存に陥っていただけで、母は、ずっと母だったのだ。

それから僕はどうするか考えた。
社長の前で口に出た進学。
でも、具体的に何の学校に行きたいのかわからない。
退職してから2ヶ月、のんびりと家事をしながら読書をして過ごした。
本屋に通い直感に任せて本を買ってきては読んだ。
そして「私に売れないものはない」という本に出会った。
世界一の自動車のセールスマンの自伝+ハウツー本だった。
純粋に販売の手法が知りたくて手に取った本だったが、著者の半生の部分に興味を持った。
著者は幼少の頃、虐待を受けていて、犯罪行為をして逮捕されたこともあること。
真面目に働こうとしても、仕事を続けられずに職を転々としていたこと。
また、著者が酷いどもりに苦しめられていたこと。
そして、どもりを克服しなければ、家族を餓えさせてしまうという状態までで追い込まれて、
本当に言いたいことをゆっくりと話すことにより見事、克服し、世界一のセールスマンになった。

虐待・どもり・克服

この本を読み終えた翌日、ブックオフにCDを買いに行き、カウンターでお金を支払っていると、
レジ前に平積みにされている「ITと呼ばれた少年」という本が目に留まった。
100円ということもあり、ハズレでもいいやくらいの気持ちで、買って読んでみた。

内容は、著者が酷い虐待から立ち直るまでの話だった。
腕を焼かれたり、ナイフで刺されたり、あまりに凄惨な虐待に呼んでて胸が痛くなった。
たが、この本にも面白いことが書いてあった。この著者もどもり持ちで苦労したというのだ。
それを、平穏な生活を取り戻すとともに水の流れるが如く落ち着いて話すことで克服している。

虐待・どもり・克服

たまたま手にとった本に2つ続けて同じキーワードが入っていた。

僕は神なんて信じないが、この偶然にはなにか意味があると感じた。
そして、どもりの克服について調べていると、どもりの専門家として、
言語聴覚士という職業があることを知った。

これだ!と僕は直感した。

取得方法を調べ、社会人時代の貯金150万でいける学校を探した。
そして、その条件に合う専門学校が見つかった時は最初の受験日まで1ヶ月半まで迫っていた。
そこから1ヶ月、試験科目の勉強を出来るだけやって、試験に挑み、合格した。
入学までの3ヶ月間、棚卸の短期バイトをみっちりとやって、
あっという間に4月、そして、この学校生活が始まった。